066412 ランダム
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ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

サルサ

サルサ


ススキノの電車通り沿いの百貨店前で待ち合わせをした。
私が待ち合わせ場所に着いた時フランスは、
人ごみにきょろきょろと意識を走らせながら立っていた。
私は急におかしくなって笑いながら近づいて行った。
時刻は約束の二十時。

「ジャス・イン・タイム」
 
私の声に彼の眼が安心して柔らかくなる。
まるで私がここに現れないかもしれないと思っていたかのような子どもみたいな輝きを放った。
出会ったときから彼の眼はずっと輝いていたけれど、
こんなにも無防備に笑った表情を見るのは初めてだった。
 
フランスと出会ったのは三日目の同じ場所。
二十一時を過ぎても二十五℃を維持したままで、
札幌では熱帯夜と云ってもおかしくないほどの夜だった。
私は仕事帰りで、いつものようにただ徘徊するように新しい店や人々の流れを観察しながら、ススキノを歩いていた。
週に三度はそうして散歩をしてから家に帰ることを習慣にしていた。
 
職場のある小樽から電車に揺られて四十五分で札幌駅着。
夜八時を過ぎると快速がなくなるため、
鈍行車両に詰め込まれた疲れた顔を眺めながら札幌に着くと、
嬉々として路上を闊歩する人々の表情に安堵感を覚える。
抱えた一日の疲れを隠さない人々の表情を見るのは好きだったけれど、
電車という狭い空間に漂う彼らの吐き出す濁った空気が嫌いだった。
鼻炎気味な私が、唯一鼻で呼吸をすることだけに集中する時間。
口の中にその空気が流れ込んでくれるのは耐えられない。
それが毎日の帰宅。

黙り込んだ人々の中に溢れかえるボンヤリとした空気は
三年経っても光化学スモッグのように私を不快にさせる。
同じ人間の吐くものでも、繁華街のそれはもっと生命力に満ちていた。
 
ここ数年札幌の初夏から九月の初旬にかけて、
その百貨店の交差点にはアンデス音楽を演奏する南米人がいる。
ずっと気になっていた存在で、
終バスまでの時間つぶしに少し聴くことはこれまでもあったけれど
彼らに声をかけたのはその日が初めてだった。
演奏終了後に私が近づいていく距離に反応したのは、
パフォーマンス中から私を見ていたフランスだった。
彼の楽器が何だったかはあまり記憶にない。
歌っていなかったことだけは確か。どんな質問をしたのかも覚えていない。

その日はすでに一件、代理店の人間と飲んだあとで当然かなりアルコールが廻っていた。
どうせタクシーで帰るしかなかったので、
彼らの路上演奏を最後まで聴いていたのだ。
暑さに誘われてその場に聴き入っていた人間は三十人ほどいただろうか。
渋谷の高架下ではもっと少なかった気がする。
一年に二度、私は決まって春先と冬に東京へ行くので、
東京でもよく眼にしていた光景。
彼らのうち二人は、この三年ほど東京でも札幌でも出会う。
きっとリーダーかなんかだろうと察しがついた。

たぶん二十分ほど話をしたあと、
何かのきっかけで私はフランスに自分の携帯番号を伝え、後日会う約束をした。
本当は彼がフランスという名前なのかも不確かなことだった。
スペイン語を母国語とする彼と日本語を話す私とでは英語の会話しか成立しない。
発音に関しては私のほうが流暢で綺麗な英語を話す自信があったけれど、
彼のスペイン語訛りの英語を全て訊き取る聴力まではなかった。
英語圏の人間とであればもっとコミュニケーションが図れたかもしれないが、
こうして再会する気も、おきなかったかもしれない。
 
私たちは笑顔で二度目の挨拶を交わし、
私の案内で学生がよく利用する大衆居酒屋へと向かった。
たどたどしい言葉でもう一度互いの紹介をし合い、
なぜ彼が日本に来ているのか、何をしているのかなどを話した。
 
フランスはチリ出身で、本国ではコンピュータープログラマーをしているのだという。
それが事実なのかもわからない。
でも彼の発言を信じて話を進めるしか私にはできない。
それが何故、アンデス音楽を演奏するために札幌に来たのかは訊かなかった。

これ以上フランスとの距離が縮まることを私は拒否していたからだ。
ただ、東京へは行かずに札幌での三ヶ月弱を過ごしたらチリに一度帰るのだと彼は云った。
私は、小樽という札幌から電車で五十分ほどの海辺にある会社に勤め、
その会社の母体は日本の小売業態のひとつであるという話をした。
広報という仕事をしているという言葉に、
あまりパッとしない表情をしたので、たぶん彼の身近にそういった職業がないのだろうと想像して終わった。

「ドンチュウ・ライク・カラオケ?」
 
彼の言葉は私を驚かせた。
私は彼が初めて日本に来たと勝手に思い込んでいた。
だから、カラオケという言葉が出てきたことにビックリしたのだ。
話がサルサダンスに及んだときだった。
最近興味は持っていたけれど、こんなにすぐにサルサがやってくるとは思っていなかった。
でも、初対面でキューバの話をしたことをそのとき思い出した。
だからフランスと個人的に会う気にもなったのだと。
 
本当は彼の知っているキューバ音楽の店に行くのだったけれど、
その店が休日らしいことがわかり、
じゃあカラオケでダンスを教えてあげるよという流れになった。

「おまえ何にでも興味を持つのはいいけど、気をつけろよ」

という同僚の言葉を思い出す。
今晩、路上で出会った外国人と飲みに行くと話したとき、
兄貴的存在の彼は開口一番そう云って眉間に皺を寄せた。
確かに、悪い可能性が何もないという保障はどこにもなかった。
ただ私の直感だけで決めたこと。

「気をつけるけど大丈夫よ」

と笑って会社を出てきた。
 
フランスが私に関心を持っているのは最初からわかってたし、
最初の店でも感じた。
だから、カラオケ店でサルサ音楽にのってダンスを踊りながら教えてくれたときも、
彼が近々本国に帰るという事実がなかったら、
躰を寄せて踊ることはしなかったと思う。

基本ステップのあと、パートナーとの距離を実践で示してくれるフランス。
躊躇しながらも私は次第に躰を合わせていった。
それが正当なダンスというだけで。
指が絡み、頬が触れたり離れたりするリズム。
ひたすら互いに踊ることに熱中していた。
個室の窓のそばを通り過ぎるバイトちゃんたちは、
きっと無関心を装いながらもひどく興味をそそられたに違いない。
彼は人が変わったように積極的に私の手をとりながらリードした。 
足もとに気をとられている私をよそに、
さり気なく腰に腕がまわるけれど、
私はそれを意識しないように当然のようにして受け止めながら踊った。
同じ曲を6回ほどリピートして私たちは店を出た。

軽く汗ばんだ躰を、不自然なほどに離して歩きながら。

「キェナイ・キス・ユ?」
 
彼の静かな篭もった声がした。
深夜十二時をまわったメイン通りを歩きながら、
きっかけさえあれば私の手を握りしめそうな勢いで彼が云う。

「トゥ・チーク?」
 
彼のキスの先が私の唇を意味していることを知りながら訊ねた。
理由は、唇を重ねることを避けていたからだ。
なぜなのかはよくわからない。

「ノ。ョアリップス」
 
答えを要求したのは自分だったけれど確かめたくはなかった返答。

ョアリップス。
 
その言葉に「ノウ。ウィキャン」としか云えないことをわかっていたのに。
残酷な自分の言葉に反省する。
でもやっぱり私にはできないのだ。
その先の肉体関係に発展するだろうことが見えていたから。
私はそれを求めてはいないのだと自分で知っている。

本当は、
「ウィ」ではなくて「アイ・キャント」なのだけれど私は答えを濁した。
フランスが何故かと訊くので、好きな人がいるからだと答えた。
唇にするキスが挨拶だとはいくらなんでも思わない。
 
昔好きだったイギリス人を思い出した。
劇作家であり舞台俳優であった彼は、
札幌で英語教師をしながら生活費を稼ぎ、芝居を続けていた。
駅前の大きなテントステージで公演を行ったこともあるが、
彼の芝居を見たのは一度だけだった。
彼の家に遊びに行ったとき、帰り際に訊かれた。

「キャナイ・ホールジュ・エン・キス・ユー?」
 
綺麗なイギリス英語だった。
私は頷くことしかできず、彼のするがままにされていた。
抱きしめられた温もりは頬へのキスから始まり、左耳を舐め続けた。
舌のざらっとした感触が耳の軟骨のあたりを行ったりきたりして、そのうち外界の音がどこか遠くの出来事のように耳に響き始めた。
それでも私が硬直しているのがわかったのか、
しばらくして彼はそのまま抱擁を解いた。
もし彼がもう少し強引に、もしくは手順を違わずに私を崩していったなら
セックスに及んだかもしれない。

でも、結局のところ、私は逃げたのだ。
彼が私に興味を持ちながらも、紳士的な距離を保っているあいだは、
私のほうが却って、大胆な行動に出ていた。
けれど、彼がその均衡を破ろうとしているのを感じた途端、
私の気持ちは反対にトーンダウンし始めた。
そう。ちょうどその晩に。
彼の気持ちが、私のなかで重くなった。そして逃げた。

間接照明に照らされたフローリングの床に並べられている
東洋風の置物や座布団、簾が彼の日本に対する関心の深さを示していた。
それらを眺めながら、私は耳に沁みていく彼の湿り気と背中の温もりを
他人事のように感じていた。
このまま押し倒されても私は抵抗はしないんだろうと確信しながら。

記憶を独りで辿りながら、私はフランスが手を握っているのを知った。

「ソォリー」

それだけ云って私は優しく笑った。

「キャナイ・コール・ユー・アゲイン?」
「シュァ…」
 
肌寒くなりかけてきた人通りの少ない道の真ん中で、
私たちは恋人同士のように向かい合って沈黙していた。
こんなとき、英語でなんて云ったら笑顔でサヨナラできるんだろう。
そんな都合のいい表現は存在しないのだろうか。

いろいろに巡らせ、軽く抱き合ったあとで別れた。
結局、サルサダンスを習っただけ。
意思疎通をはかるほどの英語力もないままの会話で、
スペイン語の挨拶を教えてもらった。

どこまでも深く黒く潤んだフランスの瞳は、
私を寂しそうに見つめてから宿泊先の下宿へと消えていった。

おととい声をかけたのはなぜだったのだろうと私の胸に疑問がわく。
こんな中途半端な結末ならば、演奏が終わったら帰ればよかったのだ。
けれどセックスをしたかったわけじゃなくて友達になりたかった。
南米の友人が欲しかった。
それなのに、その先を求められて私は困惑した。
日本人女性に対する彼のイメージの代表のような気がして否定したかったし、
何か厭らしい気がした。
心のなかでもう一度謝りながら私はまっすぐにしばらく歩いた。
そしてタクシーを拾って住所を告げる。
ずっと遠くへ帰る道のりを。

私の足はまだサルサのステップを無意識に踏んでいた。

しばらくしてから、
私は札幌のタウン誌でメキシコ料理とサルサ音楽を流している店をみつけて
仕事帰りに二~三度通った。
毎週水曜日はサルサダンスのレッスンが行われていて、私もステップを習った。

「とても勘がいいね」

とキューバ人のダンスを教えてくれる男性が云う。
料理を作るキューバ人は私の躰を正面から見ながらにこやかに笑った。

「ウィ・ライク・ウィメン・ライク・ユ」

と云って、両手で女性の躰を模る仕種をした。

私は悪い気はしなかったけれど、
何故か思いきり踊ることができなかった。
ミッソーニの原色のピンク色をしたノースリーブワンピースを着ていたことを、
少し後悔した。
休みの日にジーンズとTシャツでくればよかった。

陽気な音楽と人々の会話のなかで笑顔ではいたけれど、
何故かフランスの寂しそうな最後の笑顔が頭からずっと離れなかった。




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